2020年04月21日

アナログな世界

 母親はいつも庭に菜園をつくり、少し多めに野菜を栽培する。そして、その食べきれない野菜をたまにもらうことがある。
 人間が自分らの都合で植えたのに、それぞれの野菜は勝手に育っていき、収穫させてくれる。とても不思議であり、有難くもあり、収穫という代え難い喜びをいつも感じる。

 コロナウイルスの旋風はあっという間に世界を席巻してしまった。いま、とにかく本心で願うのは、この場面で地震などの災害がどうか来ないでほしいということ。
 多分、皆が一様に、自分らが生きている間にこんなことが起こるなんてと思っていることだろう。けれど歴史は大なり小なり繰り返している。これまでもSARSやMARS、自然災害からテロまで、世界中でさまざまな理不尽な事象が起こっている。私は昨日誕生日を迎えたが、まだまだ生きているうちに信じられないことが起こることだろうし、逆に、自分自身が「生きている」ということを感じている。
 ここ数年ブログに書けなかったことが山ほどあるが、過去のマイナスな事象をそのままにしてきたことはない。精神、経済、法律、裁判、行政、借金、介護、保険、税務等々、そして最後は生老病死に行き着く。私の経験上出来得ることで、人が助かればいいと思う。しかし今この現状では、誰しもが経験したことがないことと向き合わなくてはならない。
 コロナに翻弄されて終わるのか、それとも次の一手を打つことができるのか。
 人生の中でこれだけ試されることもそうは無い。さらに、この場面を乗り越えた次の場面をいかに描けるかも重要になってくる。外出自粛のなかで考えるのは、今後の世界の変化と自分たちの生き方である。コロナウイルスのせいで、今後人々のコスト感覚と時間のかけ方が全く変わったものになるだろう。田辺市も東京も場所は関係なく、世界中いろんなものが繋がっていることに嫌でも気付かされるのだ。
 人とのつながり、売買や物流、そんなすべてがITやAIとともに一気に加速的に変化するだろう。そうしなければ人類が生きていけなくなるのだから当然のことである。それと同じくして人は土を耕しアナログな世界を生活に取り入れることになるだろう。やっとこの機会を転機に、地方の姿を見出されるようになり、食料自給率というキーワードも真剣に考えることになっていく。
 物事の事象は背中合わせである。いまみんなが置かれている現実は、その背中合わせのバランスを調整するいい機会である。コロナが過ぎたあとのデジタルな世界で、アナログな要素とともに令和の滅法の世を泳いでいくことになる。そんな新たな海原に余計な錘(おもり)をつけた身では誰も飛び込みたくないだろう。
 どうするか、どうしたいのか。もっと、もっと考えなくては、イメージしなくては…。
 足の引っ張り合いに終始するようでは、自分自身の錘を下ろすことすらできないだろう。続きを読む
posted by 市橋宗行 at 15:20| Comment(0) | 日々のつれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月06日

平成30年、今必要なことは?

 平成30年が明け、住職としては13年目に入りました。光陰矢の如しとはよく言ったものです。
 年末の餅つきから、鐘つき、おそばの振る舞いを年末年始の行事として始めましたが、今年は深夜寒いところ15名の皆様にお参りいただきました。
 昨年も公私ともいろんなことがありましたが、価値観の多様化が人の心を蝕んでいるように感じます。こんな時こそ「仏教」に触れる機会を多く持ち、その神髄に触れることによって自分や周囲を確認したいものです。
 今年の寺報「ぼんさん」を掲載します。


 「慈悲」とは
  
 「慈悲」と辞書で引くと、「広く人々をいつくしみあわれむ心。大乗仏教の利他行の実践に生きる仏教者が、一切の衆生に対して抱く共感の心。「慈」は他に対する思いやり、有情、他の人に幸福を与えることを意味し、与楽の行為。「悲」は他に対する同情、苦しみを救い苦境を脱せしめることを意味し、抜苦の行為。」とある。
 現世に於いて、もっとも望まれることはこの「慈悲」ではないかとよく思う。キリスト教のそれで言う「愛」である。
 ではなぜ望まれると思うのか。
 1980年代、バブルの絶頂に向け、世の中は良くも悪くも皆が揃って高揚感と期待感に胸が膨らんでいた。
 90年に入りしばらくすると、バブルははじけ、今度は不安と挫折感を味わう人たちが増え始めた。メディアは話題をあおり危機感を募らせ、企業もこれまでの消費美徳の流れから、薄利多売の競争に移らざるを得ないようになった。日本人の心はすり減り、真実から遠ざけられてることにすら気が付かなくなってしまいながら、労働力の歯車として自分を擦り減らすことを、何の不思議も無く当然のこととして受け入れている。

 何のために、誰のためにこの世に生を受けたのか?…
仏教は云う、「ブッダに還れ」と。
 ある和尚さんが住職になられるとき、こんなことを言っていた。
「わたしはホントのことを言える和尚になりたい」
と。
 ホントのこととは何だろう、と考えたとき、仏教者から言うホントのこととは、やはり「真理」になるだろう。では真理とは何か。「般若波羅蜜」ともいい、智慧を得て真実相を見極めることにある。
 私たちはこの現世において、生まれや育ちに関わらず誰しもが修行をしている。それがすなわち生きるということである。そこに何が一番必要なのかは最初に述べた通り「慈悲」である。
つまりは慈悲行とそれに伴う利他行(りたぎょう=他を利する)を実践しながら真理を求めることにおのれの生きざまが見いだせることになる。
 仏教の教理として、移り行く諸行の無常さを知った上で、さらに普遍で変わることのない絶対真理が存在する以上、そのことを会得し、その確かな目で物事を見ることができれば、これほど安堵を得られるものは無いであろう。
 今一度、老いも若きも、幸不幸感に関わらず「ブッダに還」り、自分の居場所を知ったならば、その真理からの実践として、利他行として人に対し慈悲を施せることを、自分のこころのそばから離さぬように努めたいものである。
〔筆責宗行〕
posted by 市橋宗行 at 20:37| Comment(0) | ぼんさん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月18日

講演会

夏の終わりに講演会の依頼があり、地元のお医者さんと歌手の丸石さんらと出演させていただきました。
こういう機会はほとんどないのですが、いろいろと勉強させていただきました。
キーワードは「終活」。内容は「ありがとう」の感謝の言葉でつながりました。
以下、新聞記事の内容を転写します。http://www.kinan-newspaper.jp/?p=11296


田辺市本宮町の本宮行政局でこのほど「より良く生きるために〜終活のすすめ〜」と題し、田辺市本宮さくら診療所の山下成人所長(53)、東光院の市橋宗行住職(42)が講演を行った。主催は熊野健康の杜。熊野川町出身の丸石輝正さん(33)のライブもあり、約80人が来場した。

 終活とは人生の終わりを考えることで自分をみつめ、今をより良く自分らしく生きる活動。何かを始め、自分の考えや生き方を修正するにはエネルギーが必要だが、人生の終末期になれば、できることが限られる。自分らしい終活を考えてほしいと山下所長は述べ、書籍「死ぬ時に後悔すること25」から▽生前の意思を示さなかった▽仕事ばかりで趣味に時間を割かなかった▽神仏の教えを知らなかった▽愛する人にありがとうと伝えなかった、などの項目を挙げた。
 統計で日本人は平均寿命(84歳)・健康寿命(男性70・6歳、女性75・5歳)とも世界一。健康意識が高まり保健医療の貢献で寿命は延びたが、幸福度は155か国中51位。米国は平均寿命31位・健康寿命36位だが、幸福度は14位。世界から見ると日本は特殊で、子どもの時に幸福度が高く、高齢になると低いまま。健康と幸福を同等に考えていると、年をとって幸福度は下がる。米国では人生終盤に生き方・考え方を修正し、楽しく充実させようとするから幸福度が高まるという。
 山下所長は「健康や長寿は当然大切だが、それだけでは不十分。皆さんの幸せにとって何が大切か考えてほしい」と述べ、人生終盤に自分らしくどう生きたいか、問いかけた。最後に「私も終盤に近いので身近な人を大切にし、普段からありがとう、と少しでも言おうと思います」と語った。

■市橋住職講話
 市橋住職は始めに、熊野信仰の歴史を解説。本宮は小栗判官の説話などで「よみがえりの地」とされ、神仏習合の考えで熊野本宮大社の本地仏は、来世を救済する阿弥陀如来とされる。また、終活を行うのは「今」であることに言及。「一期一会という言葉もあり、今の瞬間にベストを尽くし、自分の担った役割を果たすことが終活につながる」と市橋住職は語った。
 続いて書籍「ブッダがせんせい」を元に、仏教の「六波羅蜜」についてわかりやすく解説。次の実践項目を挙げた。▽誰にでもやさしくする▽人を信じる▽うそをつかない▽よくばらない▽腹を立てない▽1日1回は「ありがとう」という気持ちを持つ。
 さらに、釈迦入滅前の説法「遺教経」の1節を紹介。「我は良医の病を知って薬を説くが如し。服すと服せざるとは医の咎(とが)に非ず」(私は良いお医者さんのようなもの。どんなに良い説法や薬を施しても、あなたが飲まなければ意味がない)。市橋住職は「色々な教えや良いこと、温かい言葉をいただいても、それを受け止めることができなければ、自分の徳に成り得ない。しっかり皆さんも受け止めていただきたい」と話し、熊野で幸せな生活が送れるよう願った。

■丸石さんライブ
 最後は丸石さんがライブを行い、『ルート42』を歌唱後、自身の幸福度について言及。今の段階では結構高いという。「自分の好きなことを好きなだけやらせてもらっているおかげ」また、「自分の好きな音楽を歌うことは心にも体にも良い」と語る。ライブでいろいろな所に行って、あらためて地元を振り返ると、本当に素敵な所だと思ったことも話した。
 続いて命をテーマにした新曲や、『ありがとう』などの曲を歌唱。「ありがとうの気持ちが薄れている時も、ライブごとに感謝の気持ちを歌に思い出させてもらったりしている。ありがとうって口に出して歌うことは大事だと、日々感じています」と話した。
posted by 市橋宗行 at 10:59| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。